濵脇 純一はまわき じゅんいち
医療法人社団おると会
理事長
略 歴
| 昭和41年3月 | 徳島大学医学部医学科卒業 |
| 昭和42年3月 | インターン終了 |
| 昭和46年3月 | 徳島大学医学部整形外科大学院博士課程修了 |
| 昭和46年4月 | 徳島県立中央病院 |
| 昭和47年9月 | カナダ トロント大学医学部付属病院整形外科留学 |
| 昭和48年9月 | 坂出回生病院 |
| 昭和49年10月 | 広島東洋マツダ病院 |
| 昭和53年1月 | 浜脇整形外科病院開設 院長、理事長 |
| 平成25年4月 | 医療法人社団おると会 理事長 |
主な役職
| 平成15年4月 | 全日本病院協会 理事 |
| 平成17年4月~平成27年5月 | 全日本病院協会 常任理事 |
| 平成11年6月~ | 広島県医療法人協会 理事 |
| 平成21年5月~ | 広島県病院協会 常任理事 |
| 平成24年4月~ | 広島県体育協会 副会長 |
| 平成18年4月~ | 徳島大学医学部臨床教授(称号付与) |
受賞歴
- 平成23年10月 文部科学大臣表彰
- 平成24年11月 旭日双光章
- 平成25年1月 公益財団法人広島市スポーツ協会表彰
昭和53年1月に整形外科単科病院として開院。現在160床。当初より脊椎・脊髄外科、外傷外科、リウマチ・関節外科、スポーツ整形外科の専門医を揃えた整形外科専門総合病院を目指してきた。整形外科医師13名、麻酔医師4名、内科医師1名。高齢化が進んでハイリスクの患者が多く、内科医師の常勤と総合病院との密な連携が不可欠である。
手術症例は年間1,800~2,000例、救急車900台、病院は広島市中心部(市役所前)にあって入院と急患を、800m離れたクリニック・リハビリセンターで一般外来・術後リハビリと病診分離している。
学生時代(昭和40年)熱帯医学踏査隊を編成し、当時の学長 児玉桂三先生の御支援もあって、他人様に寄附を仰いでインド・ネパール・タイ・・・など東南アジアを歴訪し、整形外科医になってカナダのファンドでトロント大学医学部付属病院整形外科へ留学(昭和47年)させてもらった。いつかはこの恩返しを・・・と強い思いで過ごしてきた。
開院10周年記念を機に発展途上国の中国・インドネシアから医師留学生を受け入れ当院で臨床研修を行っている。中国は10年余り続け,インドネシアは現在も続けている。
日本も先輩諸兄が戦前戦後、欧米へ留学・庇護されて現在の日本の医学・医療の礎を築いた。インドネシア・マカッサル市のハサヌディン大学医学部整形外科の初代・第二代教授も当院で研修され、多くの整形外科医師達が母国で活躍し、花を咲かせてくれるのが楽しみである。
広島は、広島東洋カープやサンフレッチェのプロチームを初め、スポーツの盛んなスポーツ王国である。私は学生時代剣道(5段)に明け暮れたが、広島ではハンドボールナショナルチームのチームドクターを10年間努めた関係で、広島市ハンドボール協会会長(H4.4.1~H15.3.31)や広島県ハンドボール協会会長(H15.4.1~H27.3.31)を務めさせていただき,平成27年4月からは広島県ハンドボール協会名誉会長となった。また、広島県ドッジボール協会会長(H5.4.1~)や広島県及び広島市なぎなた連盟会長(H18.4~H26.3)を務めさせていただいた。現在は、広島県体育協会副会長を務め、地場の競技団体をメディカルサポートしている。
喜寿を前に毎朝5時から1時間のウォーキング(27年間)、広島ロータリークラブ連続出席(37年間)、日記帳(40年間)は続けたい。
5年以内にゴルフのエイジシュートを目指している。
